君への手紙



君への手紙

悲しんでいるのは心

苦しんでいるのは心さ

それは君じゃない

たいしたことはない


心が闇を抱えて絶望している

心が自分自身だと勘違いしているだけのこと

それは君じゃない


賢者の一人が言ったことを覚えていないかい?

「どうということはない」


過去の記憶 不安や怖れ

苦悩や葛藤が心に渦巻いている‥

時に長く‥時に短く‥


気にすることはない

右往左往することなど馬鹿馬鹿しいことさ

心と一緒に落ちてゆく必要なんかない

まあそれも大いなる勘違い‥

落ちてゆく夢を見ているに過ぎないのだけれど‥


君はここにいる

何ものにも触れられず

限りない栄光を放ちながら

純粋な静寂に溶け入っている


心が何と言おうと

頭が何を囁こうと

何も気にすることはない

事実は事実

真実は真実

どんな悪夢を見ていようが

その真実は変わらない


安心していいのさ

寛いでいいのさ

喜んでいいのさ

楽しんでいいのさ

笑っていいのさ

泣いてもいいのさ

もちろん怒ったっていい

歌っていいのさ

踊っていいのさ

ゆったりとして

その無限に解放された大いなる自由を楽しんでいいのさ


この地上を無数の愚かさが覆っている

目覚めた君は場違いな所にいると思うかもしれない

何も気にすることはない

決して真実が変わることはないのだから‥



君は自由に戯れることができる

大いなる喜びと遊ぶことができる

あるがまま そっくりそのまま‥

すでに君は「それ」そのものなのだ


しかし‥だけど‥

そんなこと言ったって悩み苦しみは続いている‥

どう足掻いても、どう踠いても

此処から抜け出せないでいる

そんなことは到底信じられない

‥と君は言いたいのかもしれない

でもそれは君が言っているんじゃない

そう‥心が言っているだけさ

頭の言いなりになっているだけさ

すっかりマインドに絡め取られて悪夢を見ているだけのこと


もう一人の賢者が言ったことを覚えていないかい

あるがまま‥

このままでなにも問題はない‥

だが「しかし」だけが問題なのだ

いつも心は「しかし」「だけど」と言って問題を作り続けている‥と


なにも怖れることはない

少しだけ勇気を出して眼を開けて見たらいい

あるがままを

本当の自分を

限りない光を放っているそれそのものがここにある

それがまさに君さ

創造し続ける生命の源

君は今ここに在る








ありがたい こころはいう


ありがたいと こころがいう
ありのまま あるがまま 
うまれもせず しにもせず
えいえんのいまはうたう
うしなわれたことのないわたし
すべてはわたしでわたしはすべて
ずうっとありつづけている
なぜわすれることができたのだろう
はかないこころ はかないからだ
よくぞしすてむとなってあらわれた
ありがたいと こころがいう

びにいりさいにいり
そうぞうがおこってはおどり きえてゆく
ありがたいとこころはいう
よくぞわすれることができたものだ
ありのまま あるがまま
あるものはおどりとうたをかもしだし
それらはまたきえてゆく
そしてまたあらわれて きえてゆく
あるものはとことわ 
いまここですべてをこえてある
ある ある ある 
ない ない ない

ありがたい こころはいう


鳥と桜


春夏と
秋冬過ぎて
またも春
巡り不可思議
風 戯れて






あけましておめでとうございます

新玉は
常に生まれて
流れゆく
本然まこと
めでたき春よ

美しい年でありますように・・!

目覚めてこそ


目覚めてこそ

光を得ることできぬなら ただ闇の中に蠢き 夢の如き生を紡ぐのみ

深き昏睡 無限に続くとも判らぬ 狂気のような悪夢

その暗がりの中 救われようと藻掻き足掻いて

蜃気楼の中に見つけた幾多の慰め 

“希望”“夢”“努力”など

諸行無常の大河に浮かび 沈み 時に速く 時に遅く

流れ流れて 真実の大海に消え失せていく

数多の煩悩 怒り 悲しみ 憎しみ 悲嘆やら 

権力 支配 金銭 優越への飽くなき欲望 切望 願望 数えて尽きぬ砂の如

自我と自我 互いに争い 闘い ひたすら苦悩の中に埋没し

重く 暗く ひしめき合うはこの娑婆世界

自ら傷つき 他者を傷つけ 無間の地獄を走り回る

無用の物を作り出し 殺戮の遊具を弄ぶ

怒りの儘に殺し合い 深層の底に眠る心の焦土が現実のものとなる

弥陀に聴くことできぬなら ただ今此処で観てある仏を観ること能わずば

目覚めることのできぬなら 差取りを得ることできぬなら

吾仏なりと正しく想起できぬなら 自らの本性を思い起こすこと叶わぬなら

喜びこそ本性 慈悲こそ本然  理由無き法悦こそ吾が踊り

このあるがままの吾を忘却の彼方に葬り去るというのなら

ただ今此処に降り注ぐ 阿弥陀の光 無限の光を一瞥もせずにいるのなら

ただひたすら盲目の如く 煩悩の働きに身を任せるのなら

一つの砂粒の如き 幾ばくかの良心を頼りに この世の善を積もうとも

怒りと共に正義を信じ 全力もて悪しきものたちと雄々しく闘おうと

闇の変わることはない 地獄の変わることはない

光をもたらす以外(ほか) 意識をもたらす以外(ほか)

悪しきと思うことに異を唱え その全力を捧げて大いに叫ぶとも

この身 あの身が救われ この世が浄土の如くなるというは

まさしく戯れ言 譫言(うわごと) 夢のまた夢 幻のまた幻

内の世界が変容すれば 外の世界自ずと変わる

内が変わらずば 外は変わらぬ

光無く 意識無く 自覚無く 外が変わるように見えるとするなら

安心無く 喜び無く 差取り無く 外の世界が変わるとするのなら 

それはただの見せかけ 虚仮の産物

それは同じ闇の中から出ずる作り物 同じ病に変わりなし

不幸な男が 不幸な女に変わる如き 

報われぬな犬が 報われぬ人間に変わる如き

海の戦いが 陸の戦いに変わる如き 怪我が病気に変わる如きもの

今こそ求める時 まさに只今こそ自らの本性を求める時

識る時は今 無限に広がる栄光 無限に広がる喜びの踊り

それこそまさに吾が自然(じねん)

これこそ これこそ! 喜びの中の喜び 安心の中の安心

この心こそ この光こそ この喜びこそ この歌こそ この踊りこそ・・!

闇に沈むこの娑婆世界に光をもたらし 美しき様に変容しうる究極の鍵

阿弥陀の声 疾うに届いていたことを識る人 

久遠の慈悲こそこの世の有り様 これを識る人

大安心に寛ぎながら その臨在 その光明 まさに此処に輝いて

この娑婆世界は 新しく 美しく変容する

多くの者が求めては挫折してきた 多くの者が夢見ては絶望してきた

“愛”“慈悲”“歓喜”“笑い”に溢れる 新しき世界

諸行無常をも喜び 軽やかに踊るように旅をする新鮮な意識

これこそ“これ” これこそ“ひかり” これこそ“目覚め”これこそ“真理”

目覚めてこそ 目覚めてこそ 

吾を識り あるがままの有り様を識る 

観照するもの顕れ 光おおいに地獄を照らす

その時まさに 闇に蠢くこの身この娑婆


まさしく変容を遂げ 吾は法悦の踊り手 此処は法悦の浄土となろう








「うた」を思い出した


約20年前のことだ。
自身の内奥にあって無限に湧き出でている喜びを詩にして創り、歌いたいという切なる想いがやってきた。
そして歌うことを再開した。

真理を追い求め、時には絶望し、時には喜び、憧れと苦悩の旅を続け行き着いた所は和尚のスペースだった。
深い慈悲の導きを受け、旅の最後に大いなる歓喜を味わい、それを生きることとなった。
限りない感謝、喜び、理解が止めどなく溢れている。
これを歌にして表現したいという想いがやってきた。
詩が生まれ、曲が生まれ、そして歌った。
それはまさに「無」からやってきた恵みであり、
それを歌うことの嬉しさは計り知れないものだ。

そうしているうちに、音楽をやめていたその前の“失われた”20年間を思い起こすようになり、過ぎ去った時間を少しでも取り戻したいような、非常に曖昧な、もやもやとした想いがマインドに行き来するようになった。

何か遙か昔に置き忘れた宝物を探すような気持ち。そんな宝物など存在しないと最初から分かっているはずなのに。
技術を思い出すと共に頭が支配し始めていたのかもしれない。マインドが夢を紡ぎ、その中へと落ちていったのだろう。

そもそも過去は消えている。もうすでに存在してはいない。マインドはいつもするように不可能なことを相手にもがき続ける。
実に滑稽な“我がココロ”だ。可愛くて愛嬌があるが、それが「自分」であると勘違いし始めるとちょいと面倒だ。

しかし今
黒雲は晴れ大空が広がった!
過去などどうでもいいのだ!
この喜びを歌いたいという原点が今再び此処にある。
瞑想と共に・・否、瞑想が歌うのだ。
内なる歓喜の衝動が歌っている!

「うた」を思い出した。
何故かは知らない。突然それはやってきた。
空から降り注いだ、存在の奥底から湧き出でた!

存在の慈悲、和尚の導き、阿弥陀の計らいというものなのだろう。
存在の歌、阿弥陀の歌、この法悦の歌が風のようにまたここにやってきた。
今まさに中空の竹が歌う!

今はこのエネルギーを楽しむことにしよう。

去る7月30日、ライブスペースSHOJIMARUで行われた「円空」のライブ“極楽'n Roll Show”。
素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。
お集まり頂いた方々、SHOJIMARUスタッフの皆さん、そして吾が敬愛する円空のメンバーに深い感謝を捧げます。

合掌 DAIJO
















Mad Man Sutra 12.不思議なことだ


自らの本然、あるがままの真理は失われたことはない
生まれた時から いやもっとその前から それはここにあった
ありのままの自然として

“わたし”はそもそも それそのもの
仏性であり 永遠であり 存在そのもの
無であり 空であり 宇宙そのものだ

いつから思考が支配し始めたのだろう
いつから錯覚が支配し始めたのだろう
あからさまな真実は
そっくりそのままここにあるというのに

隠されたことなど一度も無い
そのベールははぎ取られたまま目前に現れている

いつから“自分”は肉体だと思い込んだのだろう
いつから“自分”は心だと思い込んだのだろう
いつから“自分”は限りあるものだと思い込んだのだろう
いつから“自分”は永遠ではないと思い込んだのだろう

誰かに言われたのだろうか
誰も彼もがそう思い込んでいるので、それが真実であると受け入れてしまったのだろうか
不思議なことだ 不思議なことだ

幼い頃 物心ついた頃 
私は確かに知っていた
遠く朧気ながらその永遠の感覚をただ生きていたという感触が記憶の中に確かにある
ただその永遠性を当たり前のこととしてそれを生きていた
ただ目の当たりにあるものを
ただそこにある“あるがまま”を生きていた

自我が芽生えるにつれ
それは次第に置き去りにされた
恰も覆い隠されたかのように
不可視なものとなっていった

思考が権力を持つようになったのだろう
思考がこの精神肉体システムを恰も支配するかのように振る舞い始めたのだろう
周囲からかき集めた情報、親や教師をはじめとする“社会”に教え込まれた常識や道徳、
彼らに共通した“夢の中”の感覚、観念がいつしか権力を持ち“自分”を支配し始めた

しかし不思議なことだ
ありのままの真理は相も変わらず剥き出しで目の前にある
この真実は一度たりとも隠されたことはない
自ら目を閉じてしまったのだろう
夢の中へ落ちてしまったのだろう
幻想のドラマの中へと落ちてしまったのだろう

この“ありのままの真理”はいつしか秘密の事柄になってしまった
「隠されたもの」「神秘なるもの」となってしまったかのようだ
不思議なことだ 不思議なことだ

そして今
夢の雲は去り
晴れ上がった大空は今此処に在る
すべてはありのままに在る
ただそれだけのこと
何物にも触れられない永遠性と静寂、安らぎがある
不思議なことだ