荒唐無稽小説 テニス観戦でサトリを得た男のハナシ 参の巻

テニス観戦でサトリを得た男のハナシ 参の巻
  バックナンバー  壱の巻
弐の巻

「ご承知かどうかは知らねでがすが、アチキは長年のテニスファンなのでありんす。つったって、テレビで観るてえのが中心で、生でグランドスラムなんかを観に行ったことなんぞはありゃしません。ま、でも秋のジャパンオープンには毎年行かせてもらってるてえ次第でがす。そです、有明のね・・そ〜、有明!・・そですよ、久しぶりにホットドッグ食ったとこでありやんしてね!はは、いやいや〜、美味えね!ソーセージ!たまんねえ!あんな美味えもんがこの世にあるのかなんてえ事はオシャカサマでもヨモヤご存知ねえにちげえねえ・・そらそ〜だ、オシャカサマはベジタリアン・・なんつってね!そりゃも〜ベラボウに美味い!っはは!・・でもね、あれ食うとコレがね・・」

神聖な慈光があたりを覆っている中でも、話がホットドッグの方向に向いてきた!何と言うことだ!!思わず「小指立てるな〜!」と心の内で叫ぶ来一郎、ワケの分からない話の展開と、めくるめく至福のエネルギーとで気が遠くなるのを必死に堪えて痔恩魔賢に言うのだった。

「あ、あの、えと、ホ、ホットドッグのお話しになってしまいますか?で、できれば、あの、その・・」

「あはは〜!悪りぃ悪りぃ・・でえじょぶ(大丈夫)でえじょぶ・・冗談!冗談!わはは!ちょいと前から旦那が何だか深刻な顔つきになっちまったもんだから、またソーセージの話でもして、からかってやろ〜かなって、ついつい思っちまったてえワケでさ、これからちゃんと本題に戻ろ〜てえ了見だから、安心しておくれでがすよ。どうか気ぃ悪くしねえでおくれよ。アチキは深刻なヒト見るとついついカラカイたくなってまうタチでね、ワリイねゴメンよ。ちゃんと喋るから、あはは・・。」

「あ、いえ・・そですか、どぞよろしくお願いします。」
来一郎は怒りを感じる余裕もなく、クラクラしながら絞り出すように言った。

カシャ、カシャとカメラのシャッター音が十畳の和室にコダマしている・・。
壺長千代が老師の写真を撮り始めていた。先程までは胡散臭そうに痔恩魔賢老師を眺めていた彼女だったが、この圧倒的な荘厳エナジーがこの部屋に満ち始めた頃から、その眼はホンモノを観ることの出来る喜びに輝き始めていた。
壺永千代・・彼女は何より真理の空気が大好きなのだ。

「ボルグ、マッケンロー、エドバーグ、サンプラス、アガシ等々・・これだけじゃ勿論足らねえんだけどもね。テニスにゃ歴代、色んなスターがいてね。旦那は知らねえかもしれねえけど・・。」

「あ、知っております、アタクシもテニスファンの一人でございますので・・。」
来一郎が返すと、老師は明らかに喜色ばんで続けた。

「あれあれ〜、そ〜ですかい!そらそらお見それ致しましたでありんすよ〜、ニクイニクイ〜!いよっ!このスケベ!」

何が“スケベ”なのかさっぱりわからないが、多分ホメてくれているのだろう・・。来一郎はどのような顔をして良いかわからず、少し赤面しながら引きつった笑顔のようなものを作った・・。

「へ〜そうなんですかい!こりゃうれし〜ね!テニスツアーの話をしたってワカってくれるヒトがなかなか居ねえてのがこの業界でね、精神世界てえんですかい?ね、あんまりお見かけしねえんでがすよ、ああた・・。ほ〜、そですか、そですか、ふむふむ、するってえと旦那のゴヒイキは誰です?」
「ゴヒ・・ゴヒイキ?」
「ご贔屓ですよ、ご贔屓!好きなプレイヤーは誰かって聞いてるんですよ。」
「あ、そか・・アタクシはロジャーフェデラーの大ファンです。」
「あはは〜!いや〜そうくると思ってたてんですよ!アチキもフェデラー大大好きのコンコンチキでありんすですよ〜!あはは〜!」

何だか初めて会話が成立したような安心感を覚え、来一郎は自分が少しずつリラックスしてきたのを感じていた。

「いや〜もう!彼こそ生きる伝説てえ存在でやんすね、フェデラーこそ天才中の天才!大天才!テニスを芸術にしてしまった男!・・言ってみれば、彼のプレイは、恰も雲の上で神様がダンスしながらプレイしているような感覚をさえ観るものに与えてしまう!・・なんつってね!んも〜とにかくすごい!美しい!・・ね、そ〜でしょ旦那?」
「そうです、そうです!その通りですね!観るものをトリコにしてしまうすごさ。トーナメントの1回戦でも彼がプレイするなら観ておかなくちゃ・・と思わせる選手ですよね!そんなヒトは、そうは居ないです!」嬉しくなって、少し興奮気味に言う来一郎である。

「アチキも長いことテニスを観てきたけど、あんな感じのプレイヤーは、あんまし観たことなかったてえワケでがすよ・・。だけどね・・。」

部屋を覆う沈黙の雰囲気がまた一段と研ぎ澄まされたようで、来一郎は背筋が自然に伸びていくのを感じていた。写真を撮り続けている壺長千代の顔も、心なしか紅潮してきている。

「長いことテニスを観てきたてえことはさっきも言ったでがす、何人か有名な歴代のチャンピオン、レジェンドの名前も並べたてえアンバイでやんすが、その中に日本人プレイヤーの名前なんてえのはサッパリ出てこねえんでありんす、サッパリ・・。だけどね・・。」

少し間をおいてからさらに続けた・・。
「そりゃ、大昔にゃ世界に名を馳せた日本人もいたらしいてえのは聞いたことがあるでがすよ、例えば清水善造さん、熊谷一弥さん、佐藤次郎さんなんてえヒト達がムカシ活躍していたなんてえことは、一応知ってることは知ってるてえワケでありんすが、何せ、ものすごいムカシの話でやんすよ、はい。近代テニスでは、世界のトップで活躍する日本人プレイヤーてのは、殆ど居なかったてえワケでね。松岡修造がシングルス世界46位てえのが最近までの日本最高ランクでありんした・・ウィンブルドンでもベスト8、あん時は確かに感動した、すんごく感動した!・・んだけどね・・」

「そ、それって、あれですよね・・その、“んだけどね”の次に仰りたいのは、あのヒトのことですよね・・」

来一郎が心の中で呟いた瞬間・・!
ん、ん?何だか部屋の空気が金色に輝いて見えてきた・・!
なんと・・痔恩魔賢老師の背景から、そして、例の神棚のあたりから金粉のようなものが吹き出ているようにも見える!!

「こ、これは・・!」来一郎は、あまりのことに呆然とするしかなかった。

「全米オープン・・!2014年全米オープンでがすよ・・!スゴかったなんて言葉を使っても到底追いつかねえ・・てなもんでがす。」

心なしか老師の表情が少し神妙になったような気もする。

「ラオニッチに勝って、バブリンカ・・そのあたりはね、最近の勢いてえんですか、錦織圭さまの格段にアップした実力から見たら、そらも〜当然あり得る展開てえかね、想像に難くねえてやつですよ、旦那。・・そんで準決勝はジョコビッチでがすよ!ああた!ね!あのジョコビッチでありんすですよ!今をトキメク世界ナンバーワン、正確無比のストローク、世界一と言われるディフェンス、そして何と言っても崩れざるメンタルの強靱さ・・。しかも、舞台はグランドスラム、全米のセミファイナルなんでがすよ・・そらもうあのヒトだって本気中の本気でがすがす〜!・・そんで、多くのテニスファンは思ったでがすね・・、錦織圭さまは2試合続けてのフルセットマッチで疲労もあるし、相手は世界で一番強いジョコビッチでやんす、この大会も調子が良い!・・となると、ここいらへんがもう潮時か・・、全米のベスト4だよ〜・・、もう充分、お疲れ様、身体コワサナイでね・・なんつってね。今考えると、そらも〜錦織圭大明神さまに対し奉り、大変失礼な考えだったてえワケなんでがすが、そこはそれ、凡庸なマインドてえやつの限界・・メンモクヤクジョ、あはは!バカでありんすよ〜、ね!アチキの頭が持っていた既成概念・・グランドスラムの決勝進出なんてえもんは、もうちょいと先のハナシに決まってるに違えねえ・・だいたい日本人がグランドスラムの男子決勝に進出するなんてえのは、これ自体がユメみたいなこって、まずアタマがそいつを想像することができねえ・・てなもんでがすよ。過去になかったから今度もねえだろみたいな、“まさか〜そんなことあるわけねえ的”なマインドさんの枠組みてえんですかね・・凡庸なマインドの想像できる限界てえのがホントにあったてえワケなんでやんす・・しかし、そう、それををあのヒトは・・ビヨ〜ンと超えちまって・・そ〜なんでがす!勝っちまった・・!勿論、ジョコビッチの調子だって悪くなかったでがすよ・・んでも・・勝っちまった・・!!」

痔恩魔賢は興奮を隠さず、少し紅潮した面持ちで話し続けていたが、次第にその眼は、かえって静けさを増しているようにも見えた・・。
金粉は量を増して、さらに降り続けている・・。

「途端にですよ・・その途端・・真っ白になっちまった・・アタマが、マインドが、思考が・・!モノの見事に止まっちまったでがす・・!目の前のテレビの中で起こっていること・・あんまりにも信じられない光景!ノバク・ジョコビッチに勝って全米の決勝進出・・!なんだそりゃ?!遙かに想像を超えた出来事てえやつでがす、やつでがす!ユメを見てるんだか何だか、なんかクスリでもやって、ワケわかんなくなっちまったんじゃねえかみてえな・・いんや、そういうんじゃねえな・・ともかく真っ白!てか、真金色・・何言ってんだかわからねえね・・あはは!ね、もうナニがナンだか一体何が起こったんだか・・ぶっ飛んじゃったんでがす・・。」

カシャ、カシャ、カシャ、カ、カ、カ、カッシャ、カシャ、カシャ、カシャ・・
壺長千代のカメラの音が先程から軽やかなリズムを刻み始めていた。初めて耳にするような、弾んでいるかのようなシャッター音が、神妙不可思議な雰囲気に一つの色合いを付け加えている。

ふと、来一郎は傍らの彼女を見て驚いた・・!
踊っているのだ!カメラを片手に持ち、その足はステップを踏んでいる!内奥から湧き出ずるヨロコビを表現しているのだろうか・・楽器代わりにそのシャッターを押し続けているのだ。大粒の涙が彼女の頬をつたっている、流れ落ちる鼻水を拭うこともなく、眼は閉じられ、大いなる法悦に身を委ねて、まるで宇宙と一体となったかの如く、優雅に美しく、柔らかな風に舞う、散りゆく桜のように踊っている・・!

老師から、神棚から吹き出し、部屋中に降り注ぐ金粉は更に増して、この世のモノならぬ雰囲気を強烈に演出している。
来一郎も、この奇妙ではあるが、神秘的ともいうべき瞑想空間に身を委ね始めていた。老師の方に楽しげな眼を向け、大きく頷くと師は続けた。

「空(くう)てえやつでがす、アタマが止まると“只今此処”に戻ってくるてえワケでありんす。マインド、思考てえのは過去と未来を行ったり来たりして、決して“今”には居られねえ・・なんてえのは、旦那なんかは専門だから聞いたことあるでがしょ?んだから逆に言うと、思考が止まるってえと、“今、此処”に戻ってきちまう。本当に生きてるこの瞬間に・・てえスンポウですよ。過去も未来も単なる想像・・そっちこっちにヘバリ付いて、ああでもねえ、こうでもねえ、悩んだ苦しんだスベったコロんだ・・つって生きてるてえのが、イワユル普通の人間てえことになるんでがすがね。実際に生きている“今此処”なんぞには目もくれねえで過去や未来を行ったり来たり・・ユメ見て、マボロシ見て一喜一憂してるてえワケでがすね。
・・んだけど、“今此処”にゃユメはない、この瞬間には、マボロシもない、ナンもない・・けどね、顕れるんでがすよコイツが・・今まで見ていなかったモノが・・まるで、姿を現したかのように目の前に・・この辺のこたぁなんつっていいか、説明すんのはちょいとムリがあるてえもんだけどね、そのあたりがモドカシイ・・けど、ね!・・あえて言ってみるってえと・・マインドさん、思考なんてえもんには想像もつかねえ本然の喜び、絶対的なエクスタシー、限りない至福、人間が最初の最初っから持っている光明てえもんがある・・なんてえことは、話にゃ聞いたことあるでがしょ?・・そいつがね、アラワになるてえアンバイなんでがすよ、ああた。」


ミシ、ミシ、ミシ、畳の上でステップを踏む足音が増えたようだ。いつの間にか先程のピカピカ頭の弟子もこの部屋に入ってきて、壺長千代と一緒に涙を流しながら法悦のダンスを踊り始めていた。




copyright(C) Daijyo all rights reserved
協賛 エンライトメントジャーナル

0 件のコメント: