荒唐無稽小説 テニス観戦でサトリを得た男のハナシ 四の巻

テニス観戦でサトリを得た男のハナシ 四の巻
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「テニスもナニもかもぶっ飛んだ、既成概念・・ありとあらゆる思い込み・・一切合切ぶっ飛んでいっちまったてえワケです、っていうか、思考がねえもんだからアチキ自身が居ねえんでがす・・あはは!・・ハナっからアチキなんてえもんは、存在していなかったてえ事実が解っちまったてえアンバイでやんしてね。今、此処に在る喜びてんですかい?それからってえもんは、いつでもカラッポの“今”に戻ってこれるてえ有り難てえことになっちまった!そらもう有り難えの有り難くねえの・・どっちなんでえハッキリしろ〜!みたいな・・アリガトウならナメクジハタチ・・みたいな・・あはは!」

歌うような老師の語り口にすっかり乗せられた来一郎は、湧き上がる愉快なエネルギーに捉えられ、少々躊躇いの気持ちもあったのだが、不思議とそんな気持ちはこの愉快なパワーに抵抗することもなく、つい、合いの手を挿むような調子で、リズミックに痔恩魔賢老師に尋ねるのであった。

「♪それからの〜 生活ナニか 変化した〜?あるんだったら教えてね〜 お願いします〜いたします〜♪」

「いよ〜っ!、なんか調子よくなってきやがったね、旦那〜!そうこなくちゃいけねえ・・!」
喜色を大いに表した老師は、完全にリズムと同調し、さらに大きな声を“歌”に注ぐ・・。

「♪そうでがすな〜・・そうでがす♪アレから何かが変わったと♪言えば変わったような気も・・♪ナンにも全然変わらねえ♪と言えばナニも変わらねえ♪てなてな感じてな感じ♪できればワカッて欲しいけど♪聞いただけじゃあワカらねえ♪どうすりゃ良んだと問われりゃああた♪こんな感じで言うしかねえよ♪体験してみりゃワカリます♪アタマが止まればワカリます♪ココロが消えればアチキも消える♪ハナからアチキは居りません♪ホンに奇妙なココロモチ♪そんな感じでありんすああた♪ありんすありんすアリアリリンス♪」

リズムは次第にファンキーな装いを増して、一段とボルテージが上がってきた。
まるでラップのような、あるいはまた、四代目柳亭痴楽の“痴楽綴り方狂室”(注)を彷彿とさせるような歌い方で語る老師は、オモムロに立ち上がると、こんどは自身も踊り出した。そして、先程から部屋に入ってきて踊り続けているピカピカ頭の方へ寄っていくとその“歌”を続けた・・。

「いつの間にやら来ていて踊る♪ピカピカ雄鳥(オンドリ)同じでしょ?♪おんなじ気持ちで踊ってる♪隠しきれねえそのヒカリ♪ピカピカするのはそのアタマ♪だけじゃあ無えとは知ってるよ♪あんたも空(くう)に消えちゃった♪あんたもアチキも消えちゃった♪あんたはアチキでアチキはあんた♪歌ってお祭り踊ってお祝い♪」

「“雄鳥(オンドリ)”という名前なのか彼は・・。」呟く来一郎。

老師に“歌”を浴びせられたピカピカ頭は、法悦に酔いしれている表情を崩さず、恍惚の響きを持った、透き通るような声で返す。

「♪はいはい、仰るとおりです!♪そのその通りそのと〜り♪存在、アタシと別れちゃいない♪別れろ切れろは芸者の時に♪言って下さいそのセリフ♪いっそ今のアタシには♪死ねと言っておくんなさい♪ヨロコビその中、消えていく♪アリガタ、アリガタ、これ本懐♪生まれて良かった娑婆娑婆娑婆♪」

もう、来一郎も立ち上がって踊るしかない!・・何せ、取材の相手を含め、自分以外の三人は既に立って踊っている・・、自分のアシスタントなどは、一番最初に踊り始めていたのだ。
顔の高さを合わせないとこれ以上“ちゃんとした仕事”が出来ないという思いもあったが、それよりも彼自身、この法悦のリズムに身を任せ赴くままに踊りたいという思いが強くなってきている。そもそも既に“ちゃんとした仕事”というものが何であるのかもよく判らなくなってしまっているというのも事実だ・・というよりも、仕事など、もうどうでもいいと感じ始めている・・!

少し気恥ずかしいという感情もあったが、このめくるめくような法悦エナジーの強烈な誘いに抵抗するには、あまりにもそれは無力だった。不器用な感じで踊り始めた彼ではあったが、ハートを甘美に打ってくる不可思議で慈悲に満ちた波動をすべて受け入れると、次第に“無”の世界に心身を委ね、そこに溶け入っていくのであった。

「ああ、消えていく・・!」・・微かに残った思考が観える・・。
浮かんでは消え、浮かんでは消え・・青空に浮かぶ雲のように・・。
そして・・ただ・・踊りは“起こっている”・・
リズムが自分なのか、自分がリズムなのか・・
はたまた自分はいないのか・・?!
ただ・・ただ・・事は起こっていた・・!

「♪・・♪・・♪・・♪・・♪・・♪・・!!」
老師は引き続きピカピカ頭の雄鳥と歌い踊りながら、言葉を交わしている。その周りで達磨来一郎と壺永千代が、恍惚の表情で踊っていた。
老師とピカピカ雄鳥の会話はもう既に“会話”ではない・・!
二人の個体が溶け合った一つの有機体が得も言われぬ妙なる波動ともいうべき“歌”を歌っているというのが、正確な表現に近いかも知れない・・。
来一郎にも、その“言葉”は聞こえてはいるのだが、もう彼にとってそれは、所謂“言葉”というものを遙かに超越したものになっていた。既にその“言葉たち”は、神妙不可思議な“音霊”に変容しており、彼の内側の奥深く、“存在の根源”ともいうべき領域に到達していた。

「ど〜ん!!」
突然大きな太鼓の音が鳴り響いた!
「ど〜ん!どどどん!どどんどどん!どどどど、どどどど、どどんどどん!」

「ぴ〜ひゃら、ぴ〜ひゃら、ぴ〜ぴ〜ぴ〜ひゃら、ぴぴぴぴ〜ひゃら、ぴ〜ひゃらぴ〜」
続いて篠笛のような笛の音だ。

「チンチキチキチン、チキチンチン、チキチキチンチン、チキチンチン」
これはカネの音だろう・・。

「ヴァヴァヴァヴァヴァ〜、ヴァヴァヴァヴァヴァヴァ〜」
サックスなのだろうか?それらしき音も混じっている。

「グイグイ〜〜〜ン!ピロピロピロ〜ンギャンギャギグイ〜ン!」
強めのオーバードライブが掛かったエレキギターのような音もする!

その他にも和洋中印欧・・ありとあらゆる楽器が鳴り始めた。
どうやら部屋の外から聞こえてくるようだ・・。

誰かが外側から障子を開けた。その向こうには枯山水の庭園があるのだが、いつの間にか、そこに五十人から六十人くらいの人たちが集まっていた。
思い思いの楽器を手に、演奏している者、裸で狂ったようにジャンプしている者、また、テニスのラケットをブンブン振り回す者、それをギターに見立てているのか、弾くマネをしながら飛び回っている者たち・・、その殆どが涙を流したり、大笑いしながら踊り歌っている!

・  ・マサに狂喜のお祭りだ!!

一見メチャクチャな狂騒エナジー溢れる雰囲気ではあるが、不思議と調和の取れたワイルドな音楽が一層盛り上がってくると、痔恩魔賢老師とピカピカ頭の雄鳥は、相変わらずの“歌”を歌いながら二人並んで庭の方へ、文字通り“踊り出て”行く。二人の磁力に引っ張られるかのように来一郎と千代も続いた・・これまたモチロン踊り続けている。

「♪アチキもいねえ♪お前えもいねえ♪」「♪アリガタアリガタ♪アリガタガタ♪」「♪地獄極楽雨あられ♪食う寝るところに住むところ♪夢から覚めたらカラッポでぇい♪」

「♪ダマしたあんたもこのアタシ♪ダマされたアタシはどこいった?♪あはは!あはは!ワハハのハ〜!♪」「♪法悦♪法悦♪恍惚♪恍惚♪」「♪無上の歓喜♪大歓喜♪」「♪踊ろよ♪歌およ♪歌およ♪踊ろ♪」「ワハハのアハハ♪ぶあっははのぶいひっひ♪笑って踊れ♪歌って笑え♪」

「♪どんどこどこどん♪どこどこどこどこどん♪」「♪チンチキチキチン♪ヴァヴァヴァ〜のグイングイン♪ヴアパパパ、ブアパパパ、ヴアヴアヴアヴァのヴァ〜♪」「♪ウキウキワキワキ♪ウギャウギャウギャギャ♪」
・  ・・・・!!!!!

狂喜の宴はクライマックスを迎えようとしていた!
そこにいる全員がぐるぐる回転しながらジャンプしている!
そうしているうちに個々の回転が次第にまとまり出し、一つの大きな輪のようなものになってきた・・!音楽も最大最高のエナジーを伴い、嵐のように“吹いている”・・!

完全にこのエネルギーが最高潮に達したことを見て取った老師は、おもむろに一段高い庭石の上に乗り、威厳を持った仕草で片手を上げ、中空に人差し指を指した・・。

その瞬間、大太鼓が大音量で鳴った!
「どお〜〜〜〜〜〜ん!どお〜〜〜〜〜〜ん!どお〜〜〜〜〜〜ん!」

皆はその場に座り、眼を閉じた。蓮華座を組む者、石に腰掛ける者、白砂利の上に横たわる者もいた。

完璧な静けさが辺りを覆う・・。
先程までの強烈な熱を帯びた狂騒は、遙か遠くまで行ってしまったようだ
沈黙・・完全な沈黙の空間・・宇宙の果てから降りてきたような全き沈黙・・しかしそれは、安らかな暖かさにも満たされていた。

来一郎も座っていた。どのくらいの時間が経ったのだろう、彼は未だかつて経験した事の無い世界にいた。もう自分というものが居なくなったのではと感じるような“無”の只中にいた。

「チーーーン」小さいが良く通る、仏壇で使う“お鈴”のような音がした。少し間をおいてまた「チーーーン」・・
三回鳴ると来一郎は次第に“この世”に帰って来たかのような感じがして、ゆっくりと目蓋を開けた。

すっかり陽は西へと傾き、この庭園の風景を美しい茜色に染めている。思考が戻ってきた彼は思わず「美しい・・」と小さな声で呟いた。
周りで一緒に座っていた者たちは、四人を残して静かに、物音のひとつも立てずに去って行く。優雅なその姿はまるで雲上を散歩しているかの様に見えるのだった。


















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